魯迅と東北大学-歴史のなかの留学生 | 東北大学史料館 魯迅記念展示室

魯迅と「藤野先生」

  仙台医専を退学した周樹人は、東京で「精神の改造」を実践するための文芸運動に取り組むが、1912年に帰国し、1912年に北京へと移った。そして1918年(大正7)、「魯迅」の名前で「狂人日記」を発表。以後鋭い筆致で作品を次々と世に送り出し、中国、そして日本でも、広くその名を知られていった。藤野先生から送られた一枚の写真は、この「魯迅」の書斎に飾られ、彼の心を絶えず励ましつづけたという。


高良とみ旧蔵 魯迅自筆書幅。元参議院議員の高良とみ(1896-1993)がかつて魯迅から贈られた自筆の書。
  高良とみは、キリスト者としての立場から平和運動や女性運動に参加し、戦後の日ソ・日中関係の回復などの活動で知られる女性平和運動家。 1932(昭和6)年1月、満州事変後の日中関係悪化のなか、高良は単身中国に渡航する。上海到着後に訪れた内山書店で、彼女は店主内山完造に「中国の新しい作家」魯迅と会うことを勧められ、後日内山書店の2階で魯迅と食事をした。高良はそこで自分の想いを魯迅に語り、魯迅は高良の言葉に黙ってうなずきながら、かつて日本に留学した頃のこと、藤野厳九郎先生の思い出などを懐かしそうに語ったという。帰国に際し、内山完造を通じて魯迅が贈ったのがこの書であった。 高良とみ旧蔵 魯迅自筆書幅
  元参議院議員の高良とみ(1896-1993)がかつて魯迅から贈られた自筆の書。
  高良とみは、キリスト者としての立場から平和運動や女性運動に参加し、戦後の日ソ・日中関係の回復などの活動で知られる女性平和運動家。 1932(昭和6)年1月、満州事変後の日中関係悪化のなか、高良は単身中国に渡航する。上海到着後に訪れた内山書店で、彼女は店主内山完造に「中国の新しい作家」魯迅と会うことを勧められ、後日内山書店の2階で魯迅と食事をした。高良はそこで自分の想いを魯迅に語り、魯迅は高良の言葉に黙ってうなずきながら、かつて日本に留学した頃のこと、藤野厳九郎先生の思い出などを懐かしそうに語ったという。帰国に際し、内山完造を通じて魯迅が贈ったのがこの書であった。

太宰治『惜別』初版本/1945年(昭和20)年/かつての魯迅の親友である老医師を語り手にして、仙台医学専門学校時代の魯迅や藤野先生らの人間関係を描いた小説。第二次大戦末期に執筆された。