肉体ではなく、精神の改造こそが中国の人々にとって必要だ、との思いを強めた周樹人は、1906年(明治39)春に仙台医専を退学する。藤野先生は、周樹人が仙台を去る数日前、彼を家に呼び、一枚の写真を一枚手渡した。