レファレンスコード |
20081201A |
記述レベル |
個人・関連団体文書/教員個人文書 |
文書群名 |
畑井新喜司関係資料 |
原蔵者 |
畑井新喜司(1878-1963)は、1921年(大正10)から1938年(昭和13)にかけ理学部生物学科の教授をつとめた動物学者。ミミズやシロネズミ等の研究で著名。青森県の出身で、東奥義塾・東北学院理学科を経て当時第一高等学校の生物学教授であった五島清太郎に師事し助手をつとめる。23歳の時渡米しシカゴ大学に入学。同大学で学位を得たのち1907年(明治40)ペンシルバニア大学附属ウィスター研究所に招聘され、のち教授となる。1921年(大正10)、恩師五島の推薦もあり東北帝国大学理学部生物学科の初代主任教授として仙台に赴任。ハンス・モーリッシュ等の外国人学者の招聘など豊かな国際経験を活かして学風の基礎を作り上げ、またシロネズミやミミズ等に関する生理学的研究で業績をあげ多くの動物生理学者を育てた。さらに財団法人齋藤報恩会の学術研究部長として、東北大学への研究助成に多大な手腕を発揮した。1938年(昭和13)に退官したのちは、パラオの日本学術振興会熱帯生物研究所長となり、戦時中には日本軍のマニラ占領時に司政官長官として現地科学者の保護に奔走。戦後、義父の創設した東京家政大学で学長をつとめている。畑井の没後、1966年にその功績を記念して太平洋学術会議が国際賞「畑井メダル」を創設している。
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文書群の内容 |
畑井の没後に執筆された評伝・文献等が主であるが、畑井がウィスター研究所から東北帝国大学に移る際に、関係者(M.J.Reenman:ウィスター研究所所長、H.DONALDSON:ウィスター研究所教授−畑井の米国での恩師、五島清太郎(東京帝国大学教授−畑井の日本での恩師)、小川正孝(東北帝国大学総長)らと交わした往復書簡を遺族の手で翻刻した『往復書簡』は、その中でも一次的な資料に近い価値を持つ。そのほか畑井の没後理学部生物学教室でまとめた『東北生物学同窓会会報−畑井先生追悼号』も、畑井を直接知る人々による回想録を集めた貴重な文献。ほかに、畑井の没後その功績を記念して製作され、太平洋海洋生物学研究に優れた業績を残した研究者に授与されている「畑井メダル」の原型(彫刻家安田周三郎の作品)も貴重なもの。
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年代 |
1963年〜2008年 |
数量・編成 |
合計10点
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伝来 |
2008年12月に御遺族より寄贈された。
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データ公開日 |
2009年3月31日 |
公開条件 |
当館利用規則に基づき公開いたします。 |
利用・複写条件 |
原資料を公開しています。
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参考文献等 |
『東北生物学同窓会会報 復刊11号 畑井先生追悼号』(1963)、荒俣宏著『大東亜科学奇譚』(1991)、蝦名賢三著『畑井新喜司の生涯』(1995)、武内伸夫「畑井新喜司研究@〜B」『ミクロスコピア』17-3,4,18-1(2000〜2001)
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