レファレンスコード 20061004A
記述レベル 個人・関連団体文書/教員個人文書
文書群名 阿刀田令造文書
原蔵者 阿刀田令造(1878〜1947)は、旧制第二高等学校において教授・校長をつとめた歴史学者・教育家です。宮城県名取郡下増田村(現名取市)の出身。宮城県立中学校(現仙台一高)から第二高等学校に進み1902年(明治35)に同校を卒業。東京帝国大学文科大学に進学し西洋史を専攻したあとさらに京都帝国大学法科大学に進みます。1910年(明治43)に母校第二高等学校に教授として赴任。1932年(昭和7)から1943年(昭和18)まで第9代校長をつとめ、二高歴代校長のなかでも名校長として名前が知られています。西洋史を専門とし『西洋歴史講義』『西洋史論』等の著書を残す一方、地元仙台の郷土史研究にも大きな足跡を残し、1930年(昭和5)年には「仙台郷土研究会」を結成して郷土史研究の振興に尽力しました。戦後1946年(昭和21)に仙台市公民館初代館長に就任。翌年5月没。
文書群の内容 資料群の中心をなすのが阿刀田自身の日記・手帳です。当館所蔵の日記は@二高在学中、A東京帝大在学中、B京都淑女高等女学校の授業日誌、C戦後昭和21年4月から22年5月(死の直前)までの日記・手帳類です。このほかに昭和20年度の日記や21〜22年頃に書かれた講演用のメモと思われる資料も、その一部がコピーとして伝存しています。またこれらとは別に『ますらをぶり』と題された製本された原稿集もあり、これは戦時中に出版を予定して集めたものの実際には出版には至らなかった評論集です。このほか東京帝大時代のものと思われる受講ノートや写真資料なども含まれています。 
年代 1898年〜1947年
数量・編成 (1)日誌・ノート,自筆原稿(2)印刷物(3)写真(4)参考資料の四種にに分類し、合計30点の資料として整理してあります。
伝来 第二高等学校創立120周年記念事業の一環として同校尚志同窓会を通じご遺族から2006年に寄贈を受けました。
公開条件 当館利用規則に基づき公開いたします。
利用・複写条件 日誌・手帳・受講ノートについてはマイクロフィルムによる閲覧が可能です。また写真は電子データとしての頒布が可能です。その他の資料は原資料を閲覧していただきます。複写はマイクロフィルムからの紙焼き(有料)ないしご自身での写真撮影となります。
参考文献等 山本康「「阿刀田日記」について」、穴水恒雄「「二高生阿刀田令造日記」を読む」(ともに第二高等学校尚志同窓会『尚志会報』88、2006年)